ほんとの空 - 智恵子抄 -

「若冲が来てくれました プライスコレクション 江戸絵画の美と生命」展を見に、
3連休を利用して、福島を訪問。

それについては、後日アップするとして、まずは二本松訪問から。

「智恵子抄」の作者 高村光太郎の奥さんである智恵子の出身地であり、
智恵子が言う所の「ほんとの空」を見てみたいと思ったからだ。

「智恵子抄」に初めて触れたのは、高校の国語の授業だ。
内容もさることながら、その時の国語教師が話したことを、今も覚えている。

『(30代だったと思うが)私よりみんなの方が感受性が豊かで、
感受性が豊かな内に、色々吸収した方がいい。
また歳や置かれている状態によっても物の受け取り方は違うものだ。

(新婚だった女性の先生だったが)結婚後に、「梅酒」を読んだら、旦那の事を想い
物凄く重たく感じた』

高校生の自分は、確かに同じ本を読んでも、同じように感じるとは限らない。
同じ本を何度も読んで、その時々で感じ方がどう違うのか、チェックすると
面白いだろうなあと、「智恵子抄」をその本に決定。
早速新潮文庫を購入したのだった。


東北本線・二本松駅で下車、タクシーで5分程で、智恵子の生家・記念館に到着。


智恵子の生家 明治初期の作り酒屋を復元

夕方には福島市内に入っておきたく、時間の都合上、先に智恵子の杜公園に
タクシーで直行した。


「樹下の二人」の詩碑

『あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川

ここはあなたの生まれたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫』

週間天気予報では、晴れ。快晴で訪れることができたのも幸運だった。
みはらしの広場の展望台から、阿多多羅山と阿武隈川を望む。

正面が安達太良山(阿多多羅山)

『智恵子は遠くを見ながら言ふ、
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。』

安達太良山と反対側を振り向くと、阿武隈川が。

真ん中に見える橋の辺りが、阿武隈川
身体が丈夫ではなかった智恵子さんは、よく故郷に戻ってきていたという。
この青空を見に、この空気を吸いに帰郷していたんだろうなあ。

公園から生家までは、下りで15分程度、「愛の小径」と名付けられている。
この道を語らいながら往復した二人の姿が思い浮かぶ。

愛の小径

「樹下の二人」の詩碑の写真を撮っていると、通りがかった地元のご夫婦に、
妻が生家までの道を教えてもらっていた。
曰く、紫陽花の花をずっと追っていけば良い、とのこと。

もちろんもう枯れてはいたが、道沿いにずらっと紫陽花が植えられており、
これから紫陽花を見ると、二人のことを思い出しそう。

高校生の時に「梅酒」を読んでも、フーんという感想だったが、
結婚後に読んだら、これをあなたのためにという智恵子さんの想いが伝わってきた。

今回の旅行にも「智恵子抄」を持って行って読んでいたが、
今まではひっかからなかった「夜の二人」が気になった。

『私達の最後が餓死であらうといふ予言は、
しとしとと雪の上に降る霙まじりの夜の雨の言つた事です。
智恵子は人並みはづれた覚悟のよい女だけれど
まだ餓死よりは火あぶりの方をのぞむ中世期の夢を持つてゐます。
私達はすつかり黙つてもう一度雨をきかうと耳をすましました。
少し風が出たと見えて薔薇の枝が窓硝子に爪を立てます。』

記念館の写真で見たあどけない童顔からは、火あぶりを望む強さはうかがい知れなかった。
女性の芯の強さなのだろうか。

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