カンボジアと言えば、アンコールワットが有名。
もうひとつカンボジアを語る上で避けることができないのが、
ポル・ポトによる虐殺である。
1976年~1979年に渡り政権を握り、プノンペン市民を農村へ移住させたり
知識人を虐殺するなどの極端な共産主義政策を推し進め、多数の国民を
虐殺した。
プノンペン市郊外にあるキリングフィールドと共にその爪痕を見ることが
できるのが、トゥールスレン虐殺博物館だ。

11月末に訪れてからブログにアップしようと思っていたが、
正月休みになってしまった。
重たいテーマで新年早々にはそぐわないテーマだが、三が日を過ぎたので良しとしよう。
「虐殺」が付いている博物館も珍しい。
市内の家が立ち並ぶ場所にぽつんと立っているこの建物、
元学校らしいのだが、ポル・ポト時代は政治犯を尋問する収容所。
しかしここに連れてこられた人間のほとんど全てが拷問され殺された、
一度入ると出られない地獄だった。
A棟からD棟まで4棟が、U字型に庭を囲んでいる。
拷問用のA棟には、拷問の際に使った器具やベットがそのまま残されている。

A棟 拷問に使ったベットが見えている。
B棟・C棟の一階には、収容され殺された人々の写真が
パネルで展示され、2階より上では牢屋を見ることができる。

独房。中に入って見ることができるのだが、空気がとても重たくて、長い時間入っていることが難しい。

C棟。この棟だけ鉄条網が残る。

C棟からD棟を望む。
もうひとつカンボジアを語る上で避けることができないのが、
ポル・ポトによる虐殺である。
1976年~1979年に渡り政権を握り、プノンペン市民を農村へ移住させたり
知識人を虐殺するなどの極端な共産主義政策を推し進め、多数の国民を
虐殺した。
プノンペン市郊外にあるキリングフィールドと共にその爪痕を見ることが
できるのが、トゥールスレン虐殺博物館だ。
11月末に訪れてからブログにアップしようと思っていたが、
正月休みになってしまった。
重たいテーマで新年早々にはそぐわないテーマだが、三が日を過ぎたので良しとしよう。
「虐殺」が付いている博物館も珍しい。
市内の家が立ち並ぶ場所にぽつんと立っているこの建物、
元学校らしいのだが、ポル・ポト時代は政治犯を尋問する収容所。
しかしここに連れてこられた人間のほとんど全てが拷問され殺された、
一度入ると出られない地獄だった。
A棟からD棟まで4棟が、U字型に庭を囲んでいる。
拷問用のA棟には、拷問の際に使った器具やベットがそのまま残されている。
A棟 拷問に使ったベットが見えている。
B棟・C棟の一階には、収容され殺された人々の写真が
パネルで展示され、2階より上では牢屋を見ることができる。
独房。中に入って見ることができるのだが、空気がとても重たくて、長い時間入っていることが難しい。
C棟。この棟だけ鉄条網が残る。
C棟からD棟を望む。
D棟の2階ではここ生き残った人々(7人だったと思うが)のドキュメンタリー映像をることができ、
1階では発見された遺骨が展示されている。
国民をどのように移動させたか、を表している地図。
B棟で、殺された人の写真パネルを見ていると、子供もかなり殺されている。
子供で政治犯もへったくれもないと思うのだが。
1976年から1979年だと、ちょうど自分も同じくらいの年齢で、
小学校で何も考えずに毎日を過ごしていた。
生まれる国が違うだけで、こうも違う人生を送るのか、と気分が滅入ってきた。
おそらく「笑い禁止」の看板だと思うが、絶対笑えません。
カンボジアから移動したタイで見たNHKワールドで旧ポル・ポト政権幹部特別法廷のニュースを見た。ちょうどカンボジア滞在中にトゥールスレン収容所元所長に対する禁固40年の求刑がなされたようだ。
3年前から開始している特別法廷を支援するために、日本政府は昨年44億円拠出していることも初めて知った。
しかし裁判がおこなわれているのは、この元所長のみ。
現政権もポル・ポト派と今から無用な争いで民族紛争を起こしたくないとの判断があるようでポル・ポト派虐殺に関する学校教育もこれから始まるところだと言う。
当時の人口の1/5程度の150万人(諸説あるようだが)が殺されるという、
この虐殺は一体何だったのだろうか。
何故と考えることは意味がないのかもしれないが、
カンボジアにとってはポル・ポト虐殺をきっちりと検証することは必要はないだろうか。
コメント
しっかりしろ!アメブロ!
"トゥールスレン虐殺博物館"、凄く行ってみたいのです、ここ。シャレコウベで作ったカンボジアの地図、まだあるのでしょうか。
アンコールワットよりもここに行きたいです。
かなり重たい雰囲気の博物館でした。
シャレコウベで作ったカンボジア地図の実物は無くなって、地図の写真だけが飾られてました。
頭がい骨だけは、同じ部屋にごろごろ置いてありました。