十か月連続公演中の立川談春の独演会を久しぶりに。
これまでやっていたことに気づいておらず、4月3日(水)の会から参戦。
楽しみだったのは「百年目」だ。
米朝の「百年目」が絶品、マネジメント講習として聞かせても良いのではないかと思っているぐらいだが、談春がどう料理するか楽しみだった。
開演ぎりぎりに到着、席に座ると間もなく開演した。
一番弟子 昨年真打に昇進した小春志の「家見舞」からスタート。
兄貴分の新築祝いを探す2人組の男たち、お金がなさ過ぎて、水瓶が買えず古道具で見つけた肥瓶だった。臭くて水がめにはならないが、兄貴分の家に持ち込んで水を張って誤魔化した。喜んだ兄貴分は、かめの水を使った料理を振舞ってくれるが・・・ という貧乏だが義理堅くおっちょこちょいな江戸っ子のお話。
代わって談春の登場。
客の入りが悪いようで、自虐的に突っ込みが入る。休憩でも次回以降のチケット販売のアナウンスが流れていたので、大阪はチケット販売に苦戦しているのかも。
談志が得意で、談春も前座時代からやっていたという「よかちょろ」。
遊び呆けている息子・若旦那が掛け金を回収しに行ったまま帰ってこない事に、ついに堪忍袋の緒が切れた父親。帰ってきた息子に勘当を言い渡そうとするも、ただ遊んできたのではない、「よかちょろ」を仕入れてきたと、ちょっと父親を喜ばせる。
で、「よかちょろ」って何だ?となり、よかちょろ節を歌って果たして勘当される、という流れ。
説明によると「山崎屋」という噺の前半部分、この後もこんな風に続いていくと、演じてくれる。「百年目」と同じような噺になるといっていたが、「よかちょろ」をかけたことが、「百年目」のマクラになっていた。
休憩なしでやるか、どうするか、じゃあ休憩10分!と言って休憩へ突入。
それでも15分語に「百年目」がスタート。
花見ではじけている所を見つかったその晩、暇を出せるだろうと紋々とする番頭の葛藤が、よーく伝わってきた。
翌朝になり、旦那に昨日は何故「百年目」と言ったんだという本来のサゲがやってきたが、そこはさらっと通過する。そこからが談春版「百年目」だった。
過去の帳簿を調べたが問題は全くなかった、問題がないのにクビにするとこちらの信用に関わると告げる旦那。
そこから番頭が奉公に来た時の昔話になり、出来が悪く家に帰せと言われたこともあったが、良い所を見抜いて使い続けたと語られる。
米朝がマクラで振っていた「旦那」という言葉の由来ー「栴檀(せんだん)」と「南縁草(なんえんそう)」を伝える。栴檀が美しく咲き誇れるのは、根元の南縁草のおかげ。南縁草も栴檀の降ろす露のおかげで繁ることができる。どちらが上・下という事はなく、どちらが欠けても存在しえないのだと。
ここまできて独立しろと声を掛ける旦那。番頭の下を育てるのは番頭の仕事と思っていたが、番頭を話さなかったのは自分だったかもしれないと反省の弁を述べる旦那も素晴らしい。
徹夜で帳面を調べたから久しぶりに肩を揉んでくれと番頭にお願いする旦那さん、こんな流れになれば泣くしかない番頭は涙が止まらない。そんなに涙を落されるとこっちが南縁草になってしまう、という談春版のサゲで終わった。
こちらの「百年目」もマネジメント研修に使えるなあ。
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